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ルポ日本の縮図に住んでみる

ルポ 日本の縮図に住んでみる

日本経済新聞「こころのページ」に連載したルポ「住んでみるシリーズ」をまとめたものが本書です。
この企画には記者の方の苦悩が原点にあります。

日々、時間に追われていると、取材先で型どおりの質問をして、予想された答えが得られれば、それで良しとしてしまいがちだ。通り一遍の取材からは、いくらこね回したところで、深みのある記事は生まれない。こと日地方出張の際などは、帰りの飛行機の出発時刻に追われて突っ込んだ取材ができずに、結果的に底の浅い記事しか書けず、後で自己嫌悪に陥るようなことがある。

7年ほど前、瀬戸内海に浮かぶ小さな島の寺の住職を訪ねたことがあった。例によって帰りの船の出発時間を気にしながら、質問していたら住職が苦言を呈した。「トンボ帰りの取材では何もつかめないのではないですか。島の実情が知りたかったら、島のリズムに合わせて滞在しないとね」。この言葉が記憶のとげになって脳裏に突き刺さり、時折、痛みとなって頭をもたげることがある。

確かに、住職の言葉は胸に残ります。旅行にしろ、仕事にしろ、家庭生活でさえ、時間に追われると、気もそぞろという印象を相手に与えかねないのだ、改めて考えさせられました。

こうした体験をもとに、1か月というスパンで、日本の社会が抱える問題が凝縮されたような場所に、実際に住んでみるという企画になったということです。

首都東京から最も離れた最西端の島、沖縄県与那国
日雇労働者が住むドヤ街として知られる横浜寿町
不登校や引きこもりの若者が共同生活する奈良県吉野町の自立支援寮
競走馬の産地で都会からの移住者誘致に熱心な北海道浦河町
日系ブラジル人が多く住む愛知県豊田市の保見団地
ハンセン病療養所の岡山県邑久
の6か所の記事があります。

果たして、記者の方の時間に追われるとの対局の住んでみるという試みに成果はあったのでしょうか。
住み始めると不安はすぐに解消した。こちらがよそ者でも、その土地に住んでいることがわかると、気を許して話してくれる人が多かった。しばらく住んでいたら、その土地や施設が抱える深刻な問題が見えてきた。
これこそが、住職の言われた「島のリズムに合わせた滞在」なのでしょう。

意外な副産物もあったようです。
一人で暮らしているうちに、自分自身を見つめなおす機会を得られ、独りで生きて行ける自信のようなものも身に付いたそうです。


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地図をつくった男たち

地図をつくった男たち: 明治の地図の物語

日本の近代地図作成は、伊能忠敬の全国測量と「大日本沿海余地全図」(俗に伊能図と呼ぶ)の作成を始まりにしている。
明治期に入っても、幕府陸軍がフランスの影響を受けていた関係で、地図作りもフランス式で進みます。
絵画のような雰囲気の漂う「参謀本部陸軍部測量局五千分一東京図測量原図」や、豊かな色彩で描かれ、余白部に当該地域の代表的な点景(視図)が描かれている「明治前期手書彩色関東実測図―第一軍管地方二万分一迅速測図原図 (坤之部)」が代表作です。これらは、復刊され現在購入する事が出来ます。
その後、ドイツ式に改められ、「陸地測量部の5万分の一」として全国の地図が整備される事になります。
明治維新後、急速に富国強兵を推し進めようとする明治政府でしたが、何をするのにも正確な地図が整備されていない事が、ネックになったことから、地図整備が急務として取り組まれました。
大正・昭和と進むにつれ、軍事国家としての日本が色濃くなるにつれ、地図は軍事機密と位置付けから、あまり当時の資料は残っていないそうです。
そして、戦後、アメリカ式のより合理的な地図が採用され、2.5万分の一地形図が整備されました。
現在では、電子地図の閲覧と言う形が取られ、5万分の一地形図は改定され無くなってしまいました。

本書では、地図製作と同じ扱いで前段階の測量についても取り上げられており、北海道・中部山岳地帯の測量の困難を極めた様子が紹介されています。映画化もされた新田次郎の「劒岳―点の記 」の主人公柴崎芳太郎についても描かれています。

著者の地図感として、「地図は正確かつ識別しやすい表現といった本来の機能によって、使い手の要求するそれぞれの目的を満足させるものでなくてはならない。しかも最終的には、使う人、見る人にとって、美しい・楽しいと思わせるものでなくてはならない」としています。しかし、現在の国土地理院発行の地形図はこれらを満たしているとは思えません。国の基本図である地形図を観たこともない方もいらっしゃるのではないのでしょうか。

本文中のリンクはアマゾンにしましたが。イメージがない上に、お取り扱いできませんでした。
下に日本地図センターへのリンクを張りました。それぞれどんなものか興味のある方はこちらからご覧下さい。
明治前期測量2万分1フランス式彩色地図
五千分一東京図測量原図
廃道をゆく 4

廃道をゆく4 (イカロス・ムック)

人の手が入らなくなった道は風化し、自然へと還ってゆく、そこにわずかに残る<文明の傷跡>をさぐる。本書のテーマです。
シリーズ4冊目ということで、世の中廃道ってそんなにたくさんあるのかと思いました。
鉄道廃線跡というのは一種のブームになりましたが、廃道なんてそんなにあるの?という疑問がわいてしまいます。
一口に廃道と言っても、廃道になる理由はさまざまあります。
真っ直ぐで走りやすい、トンネルや橋を屈指して作った新道に付け替えられて、旧道のほうは廃道になってしまいます。
観光道路の建設中に計画が中止されてしまい、未完成のまま打ち捨てられた道。
ダムや発電所建設の資材運搬用に作られ、最初から廃道になるために作られた道。
明治時代に作られた人専用のトンネル、大正時代に作られた荷車用に作られたトンネル、昭和になって自動車用に作られた車道に作られたトンネル。3世代のトンネルが同じ場所に残っているような場所もあると言います。
こうなると、まさに日本の産業史そのものと言えるのではないでしょうか。実際に近代土木遺産(ウィキペディア)に指定されている遺構もあるようです。

本書のすごいと思わせる点は、廃道の今の写真を載せてただ現場レポートをしている事だけでなく、しっかり時代考証されていることだと思います。道の履歴というほど詳細に、建設当時の時代背景にまで考証に及んでいる記事もあります。
また、資料がない場合でも、遺構の特徴などから、時代を割り出し、建設年代を推定するような記事もあります。
さらに建設当時の人々の思い。地元の人から、実際に作る作業員、さらには国家建設に情熱を傾ける明治官僚にまで思いをはせているところに、ただのマニア以上のものをこの本の作り手に感じました。

      

      




物語のあるまちへ旅に出よう

物語のあるまちへ旅に出よう

何もない小さな町や村に、人々を感動させる物語が生まれること。それを奇跡という人もいます。しかしこの奇跡は偶然ではなく、そこに暮らす人々の思いが積み重なって起こった結果なのです。「まちで紡がれてきた物語」物語が伝えてくれる、町の誇りや人々の情熱は、必ず旅する人の心を豊かにしてくれるはずです。
まちの魅力を発掘するためには、外からの目が必要だといいます。「よそ者を拒む土地は老いさらばえる」「外との交流が文化を育てる」のだそうです。
本書では、日本中の地域が繋がり刺激し合い一つでも多く素晴らしいまちが誕生する事を願いかかれたといいます

「物語」伝統文化の継承であったり(遠野)伝統文化を生かした新たなイベントの創設であったり(美濃)原風景を守ることであったり(竹富島)銘酒の復活であったり(小布施)・・・・様々な物語が紹介されています。
なかでも、栃木県足利市にある「ココ・ファーム・ワイナリ」についての記述がよかったと思いました。
中学校の特殊学級の教師をされていた方が「卒業しても行く場のない子供たちと一緒に暮らしていく場所を作りたい」という情熱で、子供たちと荒れ山をブドウ畑に変え、ワイナリーを作ったという話です。創業の先生は亡くなられましたが、今もって継承され、秋の収穫祭には2万人もの人の笑顔を集めているのだそうです。

個人の情熱から生まれたものや、地域崩壊の危機に瀕して取り組まれたもの、いわゆる「町おこし」として地域活性化貢献しているイベントなど。従来の旅という観光地を巡るのとは、違った地域による取組みを見ることは、そこに暮らす人々の生活を見ることにつながり、自分の見方考え方に影響を与えてくれる物になるのではないかと思いました。
江戸の崖 東京の崖

デジタル鳥瞰 江戸の崖 東京の崖 (The New Fifties)

東京の地形について書かれた本が目に付きます。前回(私のブログ東京「スリバチ」地形散歩)も書きましたが、「ブラタモリ」の功績に違いありません。
著者は、国分寺崖線を行くというタイトルのとき「タモリ倶楽部」に出演、等々力渓谷などを巡ったそうです。

本書のキーワードはズバリ「崖」です。先述の多くの本が、「坂」や「凸凹」をキーワードにしているのに対して「崖」です。「崖」とは通常30度以上の急斜面のことを指しますが、30度と言えばスキー場の上級者コースに当たります。とても坂とは呼べないものです。著者は「坂のような振りをしているけれども、お前はもともとは崖だろう」と言いたくなると言います。
崖の上下をつなごうと道をつけようとすると、そこには「切り通し」が出来、もはや「崖」ではなくなります。
九段の坂などは、少し北側(水道橋より)に「崖」が残っている事から、九段の坂も以前は「崖」だったと言います。都電が走っていた九段の坂ですが、開業は少し周辺より遅かったことから、急斜面を削り取り、都電(市電?)が走れる緩やかな傾斜にするために、時間がかかったと推測されます。
また、海の埋め立てのために「崖」を削りその土を使ったとも考えられています。
「神田山削り」として日比谷入江の埋め立てに土を使われたと言い伝えられる痕跡が御茶ノ水周辺に見られます。
駿河台下の交差点から御茶ノ水に向かって左側は明治大学の裏あたりから、水道橋にかけて「男坂」や「女坂」と呼ばれる急斜面の階段があるように「崖」ですが、向かって右側は、比較的緩やかな坂道になっています。地図上の等高線を見ますと、不自然なほど等間隔に並んでいます。また、靖国通りの湾曲がかつての山の名残だとも言います。

もう一つのキーワードは「江戸」です。江戸時代に描かれた「崖」の絵画(版画?)を検証します。
江戸の絵画と言えば、遠景の富士山が象徴的ですが、ここから、この方向では富士山は見えないと検証します。
また、極端な地形描写(誇張された)に疑問を呈します。岩肌出なければオーバーハング(崖の上のほうがせり出している)にならない。東京の「崖」に岩肌はないとしています。

高さを10倍にした地図データと空中写真を合成した挿入写真は、「崖」しっかり意識でき、見ごたえ十分です。
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